リチャード・スターク

-誰のものでもない、

自分だけのスタイルでありた続けたかった-


クロムハーツの代表、兼デザイナー
リチャード・スタークはニューヨーク州近郊にある小さな町、
ユティカで生まれた。アメリカ合衆国の東海岸に位置するこの辺りは
16~17世紀に、新大陸へやってきたごく初期のヨーロッパ系移民が
定住した場所で、そこに建立されたお墓の多くは
ゴシックな様式を残すものばかりだった。


現代的なスマートなデザインの白い十字架ではなく、
カトリック系の様式美が溢れる装飾された十字架。
幼いころからそうした墓地のデザインをごく自然に
見てきたリチャード少年が、やがて自分が作り出す
アクセサリー類のエッセンスとして、そのゴシックなデザインを
採用したことはごく自然な流れだった。


それは誰かの真似ではなく、

自らの内なる感性から生み出されたもの。



以降、多くのシルバーアクセサリーブランドのデザイナーたちが、
「クロムハーツ」のゴシックなクロスや他のモチーフを追従した。
しかしすべての始まりは、少年が幼い日に見た、
故郷の光景の光景から始まっているのである。


クロムというのはバイクに使われる金属のこと。
バイカーたちの間ではChrome don't get you home
(バイクをピカピカにしてもよく走るわけじゃない)という
走り始めの初心者をからかう言葉がある。


クロムハーツはそれをもじって
Chrome don't get you home,
but CHROME HEARTS will get you somewhere
that makes you feel like you're home
(クロムハーツは自分が自分だと思える場所まで連れて行ってくれる)
をキャッチフレーズにした。


クロムハーツを作り始めたとき、
リチャード・スタークは金持ちになりたいとも、
成功して有名になりたいとも思っていなかったという。


ただ、自分が着るためのレザーウェアを
もっと巧くつくってやろう。
そんなシンプルな思いからスタートした。


「クロムハーツ」の名前の由来はリチャード・スタークによると
「話し始めたら膨大な時間がかかる」ということらしい。
その意味するところを知りたいのなら
実際にクロムハーツを身に付けて自分で感じるしかない。


 リチャード・スターク

ニューヨークから北に250マイルほど。
ユティカは小さな町だ。

リチャード・スタークはハイスクール卒業までの多感な時代を
この町で過ごし、1978年にコロラド行きのグレイハウスに乗って
カリフォルニアへとたどり着いた。

生きていくために生まれて初めて真面目に働き、
ペンキ塗りをしながら建設関係の専門学校に通う。

1979年から1984年までは大工職人に弟子入りし
建築の知識を身に付け、同時に木工も手がけるようになる。
運命的な出来事はこの時代すでに萌芽していた。

ボスである大工職人の父親が経営する皮革輸入会社で
革製品を扱う仕事を任されるようになったからだ。
80年代はずっと革のなめし工場のレプとなり、
多くの革製品を扱う事で知識と経験を高めていった。


ハーレーダヴッドソンを手に入れる事で精神の自由も
手にし、次第に走るためのレザー製品を
自分自身と友達のために作り始めるようになる。

そして1988年のある夜、お気に入りの
デザインを思い付き「クロムハーツ」と名付ける。
そこから、ショップ・オープンまで、妻ローリー・スタークと共に
綿密なクリエイティブの時間を過ごしている。

最初の仕事は友人が監督した映画のデザイン。
2番目の仕事はセックス・ピストルズの
スティーヴ・ジョーンズのための仕事だった。

1992年にはCFDAより、アクセサリー部門最優秀賞
デザイナー・オブ・イヤーを受賞。
大きな注目を集めるようになった。

その後、コム・デ・ギャルソンが初めてクロムハーツを
日本に紹介し、シルバーアクセサリーや
レザーウェアのトップブランドに君臨するまでは
あれよあれよという間の出来事だった。

リチャード・スタークは常々
「自分や友達のためにモノを作り始めたのは、
誰のものでもない、自分だけのスタイルで
あり続けたかったからだ」と語っている。

大きな成功を手に入れても、彼自身や
クロムハーツそのものは、80年代のあの頃と
ちっとも変っていない。コンセプトや精神に
ブレがないから、彼らはいつまでも魅力的で
あり続けられるのだと思う。